露西亜語毒学日記

ロシヤ語がんばるマンのブログだよ。

2020年08月

2020年8月16日13時24分。今日はとんでもなく暑い。

仕事がなくてよかったあと思いつつも今奨学金完済までの事柄をすこしでもメモっておかないと書かないまま終わってしまいそうなので、今書くことにする。。

俺がまだ保育園児で5歳だったころ音符を書いていた。

親にピアノをやりたいと言ったが父親にやらなくてもいいと一蹴された。

家を出るまで自分からなにかをやりたいと親に言ったことはこの時だけだったと思う。

あとは親が勧めてきた柔道を1年だけやったり、父親がやってた野球を兄がやらなくて、機嫌が悪くなったのを見て、野球部に入るなりした。

柔道はためになったが、野球は全然たのしくなかった。

中学生の頃は補欠で終わって、試合にもでなかった。

試合中、早く負けねえかなあ。

なんて自チームに対しても思っていた。

今にしておもえば本当に時間の無駄なんだと思わせる。

高校は近くの普通科高校に通った。

偏差値40くらいの学校でとても進学校とは呼べるところではなかった。

また同じように父親のご機嫌をとるために野球部に入った。

そして、4月、5月、6月が過ぎて、夏休み前の7月初旬くらいの練習中のことだった。

シートバッティングの球拾いをしていたときのこと。

「あ、なんかもう部活辞めよう。今から勉強して国立の大学に向けて勉強しよう。」

そう思って、誰にも相談しないでその日の練習後、監督に今日で野球部辞めますと伝えた。

家に帰ってそのことを親に言うと、驚いてはいたがそれほど悲しんではいなかった。

それから夏休みにY老ランドという小さな遊園地でバイトして、2002年の高校生クイズに友達2人と参加して以来ずっと勉強という日々になった。

この高校生クイズは奇跡的に準決勝まで行った。

テレビでの放送後、校内で少しだけチヤホヤされた。

しかし、これが高校3年間の最初で最後の青春だった。

ここからセンター試験までは只管家に篭って勉強していた。

田舎で塾もなく、進学校でもなかったのでとても苦労した。

まわりがあまり勉強していない中をずっと一人家に篭って勉強しているのはつらかった。

今頑張ったらバラ色の大学生活が待っている!!

そんな希望だけが俺のモチベーションを支えていた。

高校2年生の頃、俺は理系だったが、文系になりたいと思った。

しかし、当時の成績ではとても文系の国立には合格できなかった。

浪人してでも文系のほうに進学したかったが、高校時代の教師の期待に圧し折れてしまって、結局理系のまま受験をすることにした。

高校三年生になると周りが就職したり、推薦で進学がきまったりする人も出てきた。

毎日、夜中の4時半とか勉強してたので、完全に限界を超えていた俺も大学の推薦を受けてみることにした。

岩手大学の農学部を受けることにした。

11月で結構寒かった。

タクシーの運転手は岩手大学のことをガンダイと言っていて、ここではそう呼ばれてるのを知った。

それで面接が始まった。

俺は面接ではなにも言えなかった。

大学入学がゴールだから当然なのだが、あの時の教授たちの高圧的な態度はいまだに忘れない。

面接が終わって、俺が次の受験者とすれ違うとき、彼が俺のことを怯えるような目で見てた記憶がある。

お気の毒にとも思えるような。

そして1か月後に不合格通知が届いた。

嫌な気持ちと新幹線代などの10万円がムダになった。

一方で推薦試験でうかる人も出てきた。

中には俺が目指すような国立大学に推薦であっさりと決めていく人もいた。

当然、俺のプレッシャーは尋常ではなくなってきた。

「ああ、落ちたら恥ずかしいな。まじで死ぬ気で勉強してんのに・・・。」

こうした心神耗弱状態の中、親や教師に勧められて、俺は気づけば奨学金の申請をしていた。

正直あまり記憶にない。

いつ申し込んだのかと時期を今から調べてみたら3年の4月頃だった。

まだ、金の価値観もきまっていない、将来どうなるかもわからない18歳の俺にとってはなかなかの契約だった。

当時はまだインターネットも使ってないし、情報にも疎かった。

大学を卒業したら東京で就職して余裕で完済できるものだと思っていた。

周りが進路を決めていくなか、俺はずっと勉強し続けた。

国立一本と決めていたので私立は受験しなかった。

しんどすぎて、ただ早くおわることだけを考えて机に向かっていたら、願書の請求をするのを忘れてしまった。

2005年1月中旬、センター試験の二日間が終わった。

たまたま先に推薦で別の国立に決まっていた同じ中学からの友達が徳島大学の願書を持っていた。

前期の高知大学は落ちてしまったが、後期の徳島大学はセンター試験のみで、A判定が出ていた。

「ああ、たぶんいけるかなあ・・・。」

合格発表を近くの漫画喫茶で母親とみた。

そして、もうその日には、大学付近の1万円のアパートを借りることに決めた。

父親は俺が大学に合格したことを伝えるとうれし泣きしていた。

俺はうれしいというより安堵ばかりしていた。

でも落ちてたら今頃どうなってたんだろうなあって今でも思う。

2005年、3月26日に徳島に初上陸して大学の入学手続きをした後、近くのディスカウントストアでテレビ、炊飯器、電子レンジの最低限必要なものを買ったあと、風呂無しアパートに直入りした。

「ああ、ついに一人暮らしか・・・。」

この時まだ段ボールも片付いてないままの部屋の写真がただ一枚残ってるのだけど、やり直せるならここからやり直したいといつも思う。

徳島にきて3日目くらいにバイトの面接をした。

当時、金髪っぽい感じにしてたのもあって面接で落ちてしまった。

それからなんか自信をなくして、バイトはあまり探さなくなった。

お金がないので、安い具無しの焼きそばばっか食べてたら貧血になってきた。

お金がないからサークルも入らなかった。

月々のお金は10万円の奨学金のみだった。

奨学金は親が管理していた。

親から仕送りと称して毎月振り込まれるお金は学費と携帯料金を引かれて、55000円くらいだった。

ここから家賃とネット料金と水道代、電気代、ガス代、風呂無しのための毎日のコインシャワー代3000円分をひくとわずかしか残らなかった。

大学は思ってたほど楽しくはなかった。

入学がゴールだったので、完全に燃え尽きてしまっていた。

そこそこの大学に入ったら少しはモテるかなって思ってたけどそうでもなかった。

少しおしゃれもしてみたが、イケメンの友達のほうにしか女子は興味がないのを察した。

大学の勉強もわからないし、つまらないしで、親に大学辞めたいと電話したら、とりあえず卒業はしときなよって言われた。

だんだんつらくなってきた。

俺は死にたくなっていた。

大学一年目の夏、家にあるスーパーのレジ袋をつなぎ合わせて、トイレのドアノブに首をひっかけた。

俺は数秒で気を失った。

夢の中で、俺はおぼれているような感じで必死に踠いていた。

意識が戻ると、全身が痙攣していて息ができない。

すこしずつ息ができるようになってくると全身に酸素が回ってすごく気持ちがよかった。

とりあえず生きてしまったのだけど、

今でもあのとき死んでればよかったなあってよく思う。

そして、今度は大学卒業だけがゴールになった。

卒業までの4年間にバイトは何回かした。

本屋、ゲームセンター、レンタルビデオ店、派遣の肉体労働、コンサートスタッフとか。

しかし、どれも長く務まらなかった。

首になった仕事もある。

結局、就職活動もしないまま、大学4年生になった。

大学4年生の夏、友達に誘われてパチスロにのめりこむようになった。

今では、どこの店でもやってるけど、5スロが出始めたのはこの頃だった。

出始めだったのもあり、設定が甘くて1日1000円だけと決めていても、閉店までいることがよくあった。

5号機初代キンニクマンが5スロに3台あって、全台最高設定でも誰も座ってないことがあったのだけど、今ではとても考えられない状況だと思う。

こんなパチスロ生活も終わりがきた。

卒論が終わって、もう徳島にいる必要もなくなった。

2009年3月17日まで元旦を除いて半年ほど毎日パチスロに入り浸っていたのだけど、実家に帰ることにした。

3月25日に卒業式だったと思うが、進路もなんにも決まってなかったので行かなかった。

後日、同じアパートの友達から卒業式の写真が送られてきて、ちょっと寂しくなったが。

実家に戻ったその日の夜に派遣で三重のタイヤ工場で勤めていた兄からメールがあって、ネットゲームに誘われた。

サドンアタックというFPSだった。

大学時代、ネットゲームはハマるのが怖くて、あまり手を出してこなかったけど始めることにした。

5月頃、兄は派遣切りにあって、実家に戻ってきたが、またすぐに千葉に行ってしまった。

失業手当が出るからとはいえ、手持ちがほぼないのに行く勇気はすごいなあと思う。

今、俺も当時の兄のように行動できる自信がない。

兄が千葉に行ってからもネットゲームは一緒にやったりした。

そして、9月から奨学金の返済が始まった。

2009年9月当時は親が返済していた。

俺はなんとかしなかんと思って、愛知にある自動車工場の期間工に応募したりもした。

採用されたものの2日で辞めてしまった。

あのとき頑張っていればなあって今でも思う。

それで、今度は12月に地元の国立公園のイベント警備の仕事に応募した。

1か月ほどの短期間勤務だったがなんとか続けられた。

4月にも同じようなイベント警備の仕事をした。

そして、合宿免許の費用が漸くたまったので、2010年のゴールデンウィークに長野の合宿免許に行くことができた。

2010年5月18日に運転免許を取得した。

その後、少しぼーっとしていた時期もあったが、また仕事を探し始めた。

俺の田舎では車がないと非常に不便だったが、まだ車を買うためのお金がないので、親に佐屋駅まで送ってもらって名古屋の測量会社で緊急雇用の仕事を始めた。

樹木の長さを調べたりするのだけど、この作業がクッソ暑くてきつかった。

まだ職場はいいひとばかりだったから続いたけど。

この時は、俺はフィリピンに語学留学したいと思っていた。

そして、働いたお金はただ貯金に回していた。

100万円くらい貯まって留学の資金もたまったし、そろそろ行こうかなと思っていたけど、

奨学金の存在が気になり始めた。

結局、自分の留学資金にはしないで、親が滞納していた税金と父親の車の資金にすることにした。

この頃から、英語はなんかもういいやって思い始めていた。

それからロシア語に興味をもって、勉強することになった。

もちろん、留学という夢はあきらめきれなかった。

また、バイトしたり引きこもったりの繰り返しをしながらも100万円くらい貯めた。

だけど結局自分に使う勇気がなくて、家の壊れた家電製品を買い替えるのに使った。

なんかちっとも前に進まないどころか、奨学金返済も親がしてると思われるのも腹が立つので、リレー口座で俺の口座にした。

まだ元金が450万円ほど残っていた。

自分の口座にしてみて、初めて奨学金返済の重さを知った。

「とりあえず完済しないと・・・」

正社員としてやっていく自信がなかったので、パートの仕事で返していくことにした。

そして続かなければ意味がないと思って、短時間勤務の仕事にした。

派遣のパチンコ部品の工場のあと、ショッピングモールのカート回収員、そして、葬儀場の警備員をして残りの奨学金の返済をしてきた。

そして、来月の27日にはギリギリで奨学金の完済ができるところまできている。

やっと俺の人生のスタートラインが見えてきましたよ。

35歳の原点か・・・。




ここまで書いて、すこし推敲したら18時過ぎてました(;´д`)

明日、親が千葉に住む兄と嫁とその両親、そして先月生まれた赤ん坊に会いに行くそうです。

この自分語りは奨学金を完済してから投稿しようとしてたけど、完済したあとはすぐに前を向くようにしたいから今投稿しておくことにしました。



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2005年3月26日一人暮らし最初の日、親が岐阜に帰って俺一人になったときに撮った写真。

このアパートは2020年10月に取り壊される予定だと友達に聞いた。

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2007年9月6日20時頃の徳島駅を南にある歩道橋から撮った写真。

夜の徘徊がきもちよかった。




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9年前撮ったサドンアタックの動画。サドンアタックは2019年の9月にサービス終了した。

---2020年9月1日追記---


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2020年9月1日、全額繰上返還の申請をした。

2020年9月27日に完済になる予定・・・

---2020年12月15日追記---

返還完了証のはがきが着たのでアップします。

DSC_0100

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なんかイフェクサーやめてから夜型になってきたよ。

あまり眠たくなくてこの時間まで起きてる。

昨日はいい夢みれなかったなあ。

でも眠りが深くなってる。

シャンビリは少しだけ続いてる。

今日の仕事中、告別式の最中に一匹の蝉がガンガン会館の玄関にぶつかって傘立てに落ちた。

もう死にそうだったけど拾って木に移してあげた。

蝉って生まれてから地中に数年引きこもって地上にでてから数日しか生きるチャンスないとかハードすぎるな。

今日拾った蝉は後悔しない生き方ができたのかな。

でもどうして玄関にぶつかったんだろう。

まさか数年前に死んだ故人の夫がお迎えに来たとか?

そんなことあるわけねーか。

しかし、眠気こないなあ。

まあ寝る。

この前の夢のつづきがみたいです。
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なんかイフェクサーやめてからいい夢をみるようになった。

昨日は中川翔子ちゃんがでてきたよ。

どんな内容だったか思い出せないけど久しぶりに夢みるの楽しみになってきたわ。

これで明晰夢のコントロールができればホシイママにしてしまうわけだがwフフフ

しかし、シャンビリの峠は越えたかな?

今日も只管当て字の勉強した。

はよ四字熟語にとりかかりたい。

明日警備いきたくねーな。

夢のなかでまた昨日の夢の続きがみたいな。

スパコーイノイノーチ(-.-)Zzz・・・・
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今日は休みだった。

今、イフェクサー断薬の離脱症状が出てる。

朝からずっと動悸があったのと倦怠感だとか気持ち悪さがいま出てきた。

まあなんとか耐えられるレベルだけども・・・。

明日、この状態で溽暑の中警備なんてやってたらたまらんわ。

マスク着用だし。

まあ奨学金返済のゴール間近にはこうした困難もあるかなって思ってたけど。

シャンビリの一歩手前だよ。

てかもうシャンシャンなってるような気もする。

今日は早めに寝ようかなあ。
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今日は津島で仕事だった。

くっそ暑かった。マスクやってるとほんと苦しい。

はよ夏終われ。

今日からイフェクサーの飲むことやめた。

耳鳴りすごい。

てか、性欲さんがじわじわぶり返してきやがってうざったてー。

なんかいい方法ないかな。

一人暮らしなら忌憚なく抜いてるが。

しかし、フーゾクとかほんとこわいな。

友達に徳島で会おうって話がでてるけど、とてもパンパン通りにいく気にならんわ。

素直に眉山にのぼって、昔よく通った道を歩いたり、半年ほど毎日通ったパチスロ店に寄ってみたりして、友達と少し話すくらいかな。

てかコロナもあるし行くのやめようかなあ。

迷うなあ…
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